◆平成 〜渥美國泰の略年譜〜

平成五年 1993年 六十歳 「探求・下村為山〜洋画家から彩墨画家への道〜」を近代文芸社より発刊。
平成六年 1994年 六十一歳 放送大学を九年かかって卒業。卒業論文の「岸田國士論考」は高い評価を受ける。
平成七年 1995年 六十二歳 『亀田鵬斉と江戸化政の文人達』を芸術新聞社より発刊。『岸田國士論考〜近代的知識人の宿命の生涯〜』を近代文芸社より発刊。 
平成八年 1996年 六十三歳 『孤高の南画家・楠瓊州〜その静寂の世界〜』を芸術新聞社より発刊。
『江戸の工夫者・鍬形寫ヨ〜北斎に消された男〜』を芸術新聞社より発刊。 
平成十年 1998年 六十五歳 踊る大捜査線 THE MOVIEの撮影中に脳梗塞で倒れるも、幸いにして大事には至らず。以降、テレビ・映画・舞台等における現場の第一線から退くこととなる。
平成十二年 2000年 六十七歳 小林荻泉翁と図って、江戸・明治民間書画研究鑑賞会「芸林逍遥木曜会」を設立、その会長となる。
平成十三年 2001年 六十八歳 次男尚樹・邦子夫婦に長男・初孫の那由多が誕生する。
平成十四年 2002年 六十九歳 『写山楼・谷文晁のすべて〜今、晩期乱筆の文晁が面白い〜』を里文出版より発刊。「老骨は 毅然と生きて 三日寝る」が東京新聞川柳サロンにて特選となる。 
平成十五年 2003年 七十歳 江戸化政期の書画の蒐集展示を目的とし、かねてからの願望であった「江戸民間書画美術館」を自宅を改装して設立、自ら館長となる。 
平成十六年 2004年 七十一歳 『大田南畝・蜀山人のすべて〜江戸の利巧者 昼と夜、六つの顔を持った男〜』を里文出版より発刊。
平成十九年 2007年 七十四歳 映画プロデューサーであり監督の水島総氏の強い懇願により映画「南京の真実」に土肥原賢二陸軍大将役として出演。約十年ぶりの現場復帰にもかかわらず大役を果たす。
平成二十年 2008年 七十五歳 アクト青山ドラマティックスクールを演劇集団アクト青山とし、専任講師としてアクト青山の卒業生である小西優司を迎え入れる。
平成二十一年 2009年 七十六歳 二月五日かねてから闘病中だった脳腫瘍のため、世田谷区内の病院にて永眠。 

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